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俳優編のクライマックスは、前回に続き2回目となる信国輝彦講師。 前回9/3(日)のカリキュラムでは、
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「見られていること」を意識する――カメラを2台置き、映像になった自身を意識させることで、まず念頭に置かせる。 |
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何もしない――特技ではなく、それぞれ「生きてきた時間」を身体から沸き立たせることで人物関係を表現する。 |
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台詞のみで勝負する――与えられた短い脚本の台詞だけから、人物を創造する。 |
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自由に創造する――上映された映画の登場人物の“映画以前の関係”を、台詞なしに自由に演じる。 |
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の4層における濃密なカリキュラムを経過して、今回、 |
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長大な脚本を読み込み、1題目目を、決められたフレーム/動き の中で演じる。 |
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演じた姿が「映った映像」を全員で観て、「どう演じたかったか」の戦略を再検討する。 |
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「どう演じたかったか」が「どう映ったか」の結果を引き取り、もう一度演じる。 |
のネクスト・ステージへと移行した。
出席者は過去最小の人数となってしまったが、前回6時間への延長となってしまったので、すぐさま本番へ取り掛かる。が、事前に渡された脚本の台詞を頭に入れ込んでいる受講生はわずか。台詞を続けていく段階でつまづき、この段階をスラスラとこなせた受講生もいるが、当然それは掛け合いにならない。何故なら、今回の芝居は3人芝居、信国講師が前回最初に指摘した「演技は相手ありきだ」ということが、ここで奇しくも色々な形で表出してしまう。
何度か集中の時間を講師が与え、数回トライ。「どう演じるか」の戦略も、前回の「監督の世界をまず受け入れる」――すなわち、脚本を読み込むことを経なくては、身に付けられないのをイヤというほど目撃した。
2回だけでのカリキュラムでは、濃厚過ぎたのだろうか?
しかしレポートをする側としては、今回の芝居で、ある意味個々の役者の底力が見えた気がした。
2回目のトライへ移行する頃には、通常終了時刻の3時をすでに回っている。全出席者の半分しか今回参加していないのだが、時間経過があっという間だ。
台詞を前半入れてこなくても持ち前の個性で、信国講師さえビックリする個性・関係を表出させるもの、やはり段取りにとちってしまうもの、様々だった。
授業カリキュラムは終了し、信国講師自らが出演に参加してのエクストラ・バージョン。この時間には、受講生が信国講師を挑発するだけの演技を身に付けていくさま、また一度舞台上で同役を演じたこともある信国講師の求心力のある演技にも釘付けになった。
月並みな意見だが、演技は瞬発力・感性よりも、まず持続力と反復が、早い形となって表に出る。なぜだか私はそう感じた。後者をおろそかにしては、多様な演出家の演出に、瞬時に多用できる引出しも持てないだろう。
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