【2008年01月26日
から
2月 8日(金)
まで
】
Trash Rocken' Picture Show
「ザ・クランプス」はガレージ・ロック、パンク、そしてサイコビリーのパイオニアとして、30年以上に渡り現役として活動を続け、ラモーンズやメテオスと並び常にリスペクトを受ける。1976年、ニューヨークにてラックス・インテリア(Vo)とポイズン・アイビー(G,)の悪趣味変態夫婦を中心に結成される。1977年、アレックス・チルトンをプロデュースに迎え、ロカビリーの誕生の地メンフィスにてレコーディングを敢行。
当時、50'S,60'S ロックはニュージェネレーションにとって、もはや遺物に過ぎなかっ
たが、クランプスは時代を逆行するかの如く古き良き時代の悪ガキどもが愛したチンピラロックを墓場から蘇らせてしまった!
それまで封印されていた無数のオブスキュアな音塊を見事に消化し、キッズを狂気のどん底に陥れた功績は大きい。度重なるメンバーチェンジはあるものの、クランプスは一貫して不動の地位を保っている。唯一無比なサウンドは、もはやクランプスというジャンルを築き上げたといっても過言ではない。その貴重な「ザ・クランプス」の映像とともに90年代の最低パンク野郎GGアリンを撮影したドキュメントを同時公開!
GGアリンはステージ上での排泄、ガラスやビール瓶で自分を切り刻む自傷行為、観客に向かって罵りと糞便と暴力をまきちらすという、過激なパフォーマンスが有名で、「HATED IN THE NATION(国中の嫌われ者)」というアルバム名が示すとおり、現在でも「変態ミュージシャン」の代表格として語られるほどである。
だが彼の作り出すパンク・ロックは非常に攻撃的でソリッドであるとして音楽性も高く評価されており、「アリンこそが真のパンクロッカー」とするファンも多い。アリンのパフォーマンスにおけるもう一つの特徴は、度々あった自殺予告だった。
1989年のハロウィンにステージ上で自殺するつもりだという声明を、雑誌に寄稿。だが彼は、その時刑務所の中にいた。彼はその後も、毎年自殺予告を続けたが、ハロウィンの日には彼は必ず獄中にいた。また多数の才能あるミュージシャン(ダイナソーJr の J・マスシス、元ラモーンズのディー・ディー・ラモーン、MC5のウェイン・クレイマー等)が彼のサポートをしていたのも大きな特色である。持つ音楽性は幅広く、ニューヨーク・ドールズを敬愛し、大量のレコーディング・マテリアルの中には、パンク・ロックに留まらず、ハンク・ウィリアムズ・ジュニアに捧げられた、カントリーアルバムもリリースしている。
「ザ・クランプス 精神病院ライブ」
THE CRAMPS LIVE AT NAPA STATEMENTAL HOSPITAL 1978/U.S.A./20min
| 監督 | 不詳 |
| 出演 | ザ・クランプス:ラックス・インテリア(VOCAL), ポイズン・アイヴィ(GUITAR),ブライアン・グレゴリー(GUTAR), ニック・ノックス(DRUMS)、ナパ州立精神病院の患者さんたち |
現在のロック・シーンに多大なる影響を与え続けているバンド ザ・クランプスの伝説のライブが遂に日の目をみる!!
MTVが放送を開始するはるか昔、このロックの歴史に永遠に語り継がれるライブは白黒の手持ちビデオカメラによって記録された。1978年6月、ニューヨークのパンクバンド“ザ・クランプス”はカリフォルニア、ナパ州立精神病院において大勢の患者達を前にフリー・ライブを開く。最初は呆然とライブを見ていた患者たちだったが、2曲目の途中若い女性患者が突然ステージに登り絶叫をあげると、それまでおとなしかった患者達は解放され、自由気ままに踊り狂い、リズムを無視してヘッドバンキングする男、ふらふらとステージを這い回る老人、マイクを奪って絶叫を繰り返す女たち!「ヒューマンフライ」を演奏する頃には患者達の熱気も最高潮、ナパ病院は真のカルト・ロックンロールショーの伝説を生みだしたのであった・・。
このライブ映像には、ロックが持つ原始的なパワーが爆発される奇跡的な瞬間が封じ込められている。あらゆるロック映像の中での、最重要な作品としてロックが滅んだ後も語り継がれていくだろう傑作だ!!
『全身ハードコア GGアリン』
HATED 1994/U.S.A./60min
『スタスキー&ハッチ 』(監督)『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』(原案)で知られるトッド・フィリップスがNY時代に撮ったパンク・ドキュメンタリーの傑作。
狂気のパンク・ロッカーと世界中に悪名を届かせながらも、高い音楽性でミュージシャンからもカルト的な人気を誇ったGGアリンの想像を絶する人生の記録。観客との暴力沙汰、糞尿まきちらし等のパフォーマンス、そしてドラッグのオーバ−ドーズでの死までを余すことなく描き、原一男監督の『ゆきゆきて、神軍』やマイケル・ムーア監督の『ボウリング・フォー・コロンバイン』等の作品と同様にドキュメンタリーの枠を越えた衝撃を見るものに与える。流行のパンク・ドキュメンタリーに止めを刺す、真のパンク・ドキュメンタリーが日本上陸!!
| 監督 | トッド・フィリップス |
| 出演 | GGアリン、マール・アリン、ディー・ディー・ラモーン
|
GG.アリン、ロックに危ない空気を取り戻したかった男
破壊的でありながら、究極的にバカバカしいパンクロッカーの肖像
GG.アリンのライブ・パフォーマンスはただの時代遅れのロック・ショーではなかった。GGのステージで客は暴力の洗礼を受ける。観客は最終的には顔面を強打され、鼻の骨を折られ、腕も骨折し、もっとひどい目にも遭った。客たちの目の前で糞尿を垂らし、出したばかりの自分の排泄物を、叫び声をあげて逃げまどう客に撒きちらす行為は日常茶飯事だった。ツアーを最後までやり遂げるなんて、GGにはのぞむべくもない。ほんの数回ライブをした後は、病院か刑務所送りになるのが常だったからだ。しかしGGは、独自の人生観と類まれな才能を持ったソングライター/ミュージシャンだった。純粋で混じり気のない、暴力まみれの性的エネルギーが、GGにとって全ての行動の源だった。反省する気持ちなど微塵も持ち合わせてはいない。1991年、ニューヨーク大学の映画科の生徒だったトッド・フィリップスが、GGとコンタクトを取り、彼のドキュメンタリー映画の製作を持ちかけた。GGは同意し、仮釈放中にもかかわらず、ミシガン州を離れてニューヨークへ向かう。そこでGGはトッドが用意したステージをいくつか行った。GGはすぐに再収監されたが、トッドはバンドのメンバーたちや、アメリカ北東部の田舎に住んでいた頃の若き日のGGを知る人物たちにインタビューをし、映画を撮り続けた。トッドはこうした映像の断片をつなぎ合わせて、GGを突き動かすものの正体、そして激しい興奮状態の中、自己破壊をくり返すGGの姿をとらえようとこころみた。
1993年6月、ニューヨークでトッド・フィリップスによるドキュメンタリー、「全身ハードコア GG.アリン」は封切りの日を迎えた。会場には、刑務所から出所したばかりのGGの姿があった。
映画の封切りからわずか数日後の1993年6月27日、ニューヨークのThe Gas Stationで行われたステージが彼の最後のライブとなった。この夜、彼の今までのステージの中で、最も暴力的なパフォーマンスが始まった。ライブが始まって7分後、ライブハウスのアンプの電源が落とされた。その後会場は、あの懐かしい阿鼻叫喚のウルトラ暴力の場と化した・・・。
その日の晩、GG.アリンはヘロインのオーバードーズによりこの世を去った。
「全身ハードコア GG.アリン」はカルト映画として、またたく間に世界中で興奮の渦を巻き起こした。顔面にGGのパンチを見舞われる心配もなくGGの姿を見られるんだから、気楽なもんだ。
ヨハネス・シューンヘル(「Trashfilm Roadshows」著者)